午後の部 パート2 討論・話題提供

西六郷と治水の歴史・・長島 保(TBネット代表)

かつて多摩川は洪水、氾濫を繰り返す「あばれ川」だった。ここに、その水と闘った人びとの歴史がある。
中世の多摩川は北流していた
かつての矢口の渡し

大きく蛇行して流れる多摩川
決壊した西六郷の堤防
*1910年の西六郷堤防決壊:8月10日22時多摩川の天王木村の堤防、120間に亘り決壊す、農民総出で修 理に勤める(天王木村、高畑村 町屋村 道塚村)

*早期築提を求めて:水害に苦しんだ人々が立ち上がった→「アミガサ事件」

*多摩川下流改修事業:1918〜1933年度国費50%

*安養寺、河川改修で移転しました(この薬師如来
  挫像は藤原時代の古物と推定されている

     伝統工法を史跡保存パネル
干潮どきに現れる水制 工事に先たち水制工調査
杭出し水制工と判明した 完成スーパー堤防 広くなった堤防と護岸

堤防護岸の設計と施工のポイント・・・米沢 拓繁(京浜河川事務所)
流域緒元
●水源地:笠取山[山梨県塩山市 標高1,953m]
●全長:138km[直轄管理区間64.3km
●流域面積:1,240u
●流域区市町村:30[東京都26区市町村。¥・神奈川県一市・山梨県3市町村
●流域人口:約4,250,000人(1995年度)

西六郷地区の整備事例 多摩川の流域概要
勾配が急な河川なので、洪水、決壊がが多いのです
特に西六郷地区の概要 多摩川水系河川整備計画 西六郷地区での洪水時の水の流れ
 浸食決壊する箇所です→ここを改修する

その為の六郷地区では 現地で確認された水制工
完成した西六郷のスーパー堤防 蛇行内側部(川崎競馬場先端):改修工事で生まれた綺麗な干潟→今後の利用が楽しみ・・・・
多摩川河川敷利用の変遷について・・・高橋 俊三
江戸・明治〜現在まで
多摩川全体(河口〜青梅) 六郷地先(右岸6,0km付近)
明治以前 広大な河原・将軍の鷹狩・筏流し筏宿・ ・東海道の渡し場「六郷の渡し
・多摩川の・筏流しの終着点として機能(筏宿)
・当時の提防(自然堤防)河道共に今より北側?
〜昭和30年代 ・河川敷認定・農地→都市化・ゴルフ場・
 グランド(戦時中は農耕地利用です)
・明治期:鉄道橋の架設(M5年)六郷橋の架設
 (M7)六郷渡しの廃止(M7) 広く農地利用
・大正期:改修工事の着工 六郷村堤外地整理組
 合設立(T12年) 農地利用主に
・昭和・平成初期:改修工事竣工、河川敷ゴルフ場
 オープン
・戦争中:ほぼ農地利用(食料事情より)
・六郷橋上流に六郷ゴルフ場オープン。下流に大
 田区運動場
昭和55年〜 ・河川環境管理計画の策定(S55)自然保全
・河川整備計画の策定(H12)法定計画化
・河川敷地占用許可準則の全面的改正H11)  既利用地:48.6%
(公園/14.5%・運動場/24.5%・農地/1.4%)
・S43には農地の姿が消えた
・第2次多摩川河川敷開放計画(49〜52年)
・52年以降は大き変更なし

以降のデスカッソョンでは、今後のスーパー堤防化のほかに約50%河川敷の今後の利用が論議を呼んだ事で
しょう。多摩川プランでも取上げられる事でしょうが・・・子供の水遊び場・駐車場・公園他考えられるでしょう

リポート 眞田 強