【主催】二ヶ領用水竣工400年記念実行委員会 川崎市建設緑政局計画部企画課
【日 時】平成23年2月27日(日) 12:30〜16:30 【場 所】川崎市中原市民館 |
14年の歳月をかけて作られた用水 小泉次大夫の活躍 |
二ヶ領用水とは、江戸時代に川崎領と稲毛領にまたがって開削されたことに由来する名前です。江戸に移った徳川家康は、多摩川の冶水と新田開発をすすめました。 多摩川両岸に用水路を開発する用水奉行の命を受けたのが小泉次大夫です。次大夫は、現在の静岡縣富士市小泉の出身で、代々用水関係の仕事をしてきた家に生まれました。工事の途中で稲毛・川崎二ヶ領の代官に任命された次大夫は、小杉に陣屋をおき、代官としての仕事も加わりましたが、引き続き二ヶ領用水の工事の指揮・監督を行いました。工事は、地域領民の全面的な協力によってすすめられました。 二ヶ領用水は幹線水路だけで32kmもあると云われています。測量開始から14年、慶長16年(1611)に工事は完成した。工事を始めた時の次大夫は59歳、工事終了時は73歳になっていました。次大夫は、正月の3,4日以外は、毎日休まずに仕事をしたといいます。 そして 2011年3月1日が完成400年です なかはら二ヶ領用水と昭和の風景より |
早々の受付も盛り上がりました | 実行委員会の作品を楽しく閲覧する阿部市長 |
散策マップ作りや写真展、二ヶ領用水をテーマにした「うた」や「落語」そして児童の二ヶ領用水
の歴史探索など一連の記念行事の集大成となるイベントのはじまりです、川崎市長も足を運んだ。
【開会】12:30
二ヶ領用水竣工400年プロジェクト 実行委員長 長島 保 |
塙野 ひろ子 (フリーアナウンサー 清流亭小石) みさんで、二ヶ領用水を盛り上げましょう。 |
川崎市長 阿部 孝夫 |
川崎の宝です、二ヶ領用水を訪れる人が毎年1万人増えています。2年余で115件の事業が行われた。歴史を後世に伝えていく運動はこれで終りでなく出発にしたい。 | 川崎は若さに溢れた街である。地域の貴重な歴史遺産を市民にいかに知ってもらい、一緒になって潤いのある川崎市のまちづくりに取り組んでほしいと思う。 二ヶ領用水を市の宝物として次の世代に伝えたい。 |
【表彰式】12:40
「二ヶ領用水のうた」や「二ヶ領用水フォトコンテスト」や募集で次世代につなぐ | ||
「二ヶ領用水のうた」表彰 ←川崎市長賞「水の旋律」 神奈川新聞社賞→ 「二ヶ領用水の水面」 <講評>は藤嶋 とみ子 |
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優秀賞 | 優秀賞 | 優秀賞 |
最優秀賞 | 優秀賞 | 特別賞 |
「水の旋律」〜二ヶ領のうた〜 水は光 いのち育むめぐみ さくらを映し みどりをぬらし 流れてゆくよ 400年変わらずに すこやかな暮らしのためにきらめいて 流れてゆくよ 歌っているよ 水は力 いのち育むめぐみ 争いをなくし 知恵をあつめ 流れてゆくよ 稲毛領 川崎領 二ヶ領の用水として さざめいて 流れてゆくよ 歌っているよ 水は和み いのち育むめぐみ 鴨を遊ばせ 鯉を泳がせ 流れてゆくよ 人々の心いやし 実りある明日のために ほのぼのと 流れてゆくよ 歌っているよ |
【娯楽】
〜二ヶ領の清流よ いつまでも!!〜 清流亭一門
NK細胞 笑は健康 多摩ほまれ
徳川家康の命を受けて工事を指揮した代官・小泉次大夫のエピソードを基に創作落語・・・ | ||
「放送日記・Part2」清流亭 小舟 | 「二ヶ領用水物語」 喜楽亭 笑吉 | 娯楽 清流亭 いしあたま |
二ヶ領用水ができ新田開発が進み、やがて、60ヶ村、≒2,000ヘクタールの水田に水が引かれました。二ヶ領水ができる前と比べると、水田は大はばに増えました。江戸時代のこの地中原区は見渡す限り水田が広がっていました。 その後も二ヶ領用水を利用する水田が増え続けました。約2,850ヘクタールと最大となったのは明治42年(1909)のことでした。二ヶ領用水がうるおした地域は、江戸近郊の中でもお米の生産量が多い穀倉地帯の一つでした。 この地域は、質の高いお米がとれることでも有名でした。特に稲毛米は、江戸時代、将軍家への献上米となりました。また、江戸に出荷されて江戸前寿司に使われるなど、良質米として評判が高かったのです。 なかはら二ヶ領用水と昭和の風景より |
15分休憩
二ヶ領用水の400年記念のお土産と・・・ フォトコンテスト入賞写真集や切手 など・・・ |
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【基調講演】14:20〜
「多摩川と二ヶ領用水」 村松 昭(絵本作家)
多摩川散策絵図と二ヶ領用水の思いを語る、村松さんの講演に真剣な皆さん |
【小学校の取り組み発表】
井田小学校・楠田典子先生と児童のみなさん
400年前に苦労して掘った人達はすごい・・何千年先も使われるように大切にしていきたい。
全員順番に自分の担当の話で、二ヶ用水に花を咲かせてくれました・・・
川崎堀の七堰の一つ | 生徒の 田植え | みどりの田んぼ |
【分科会の活動報告】15:00
二ヶ領用水をいろんな課題から研究した、プロジェクトの発表
二ヶ領用水の学習教材(DVD) 中山 博夫 |
二ヶ領用水竣工400年PJ in高津 吉田 威一郎 |
二ヶ領用水川崎堀七堰調査 菊池 恒雄 |
二ヶ領用水散策マップ 長島 保 |
二ヶ領用水一斉清掃の会 橋本 満昭 |
二ヶ領用水知絵図 渡邉 修策 |
左から橋本 光昭・菊池 恒雄・中山 博夫 | 左から渡邉 修策・長島 保・吉田 威一郎 |
【会場との意見交換会】
プロジェクトメンバーと会場者との意見交換、二ヶ領用水に花を咲かせました。
コーディネーター | 鈴木 眞智子(二ヶ領用水竣工400年プロジェクト事務局) |
パネラー | 吉田 威一郎・長島 保・渡邉 修策・中山 博夫・菊池 恒雄・橋本 光昭・阪口 拓造 |
数々の質疑応答の中から・・・・ 行政(川崎市が力を入れた)を巻き込んだ秘訣を知りたい→市民が実行委員 会を立ち上げて、全市的運動に展開したのでこれに対応したのでは・ |
高高度成長期の工業を支えて 新たな役割を |
時代が進み昭和になると、たくさん工場が進出してきて、それまで水田であった土地の宅地化が進み、川崎市の人口も急激に増加していきました。高度成長の時代に入ると、昭和30年(1955)に川崎市の約45万人だった人口は、昭和35年には約65万人になりました。それとともに、川崎の海沿いには埋立地がさらに広がり、大きな工場も増えていきました。 これまで、増え続ける工場で使う、たくさんの水をどうやって確保するかが、大きな問題でした。その水源として目を向けたのが、二ヶ領用水です。既に昭和14年(1939)には、二ヶ領用水の水を取り入れた日本初の公営工業用水道を創立し、工場地帯に工業用水を供給してきました。さらに昭和34年(1959)には川崎市は、それまでの工業用水の供給能力を約2倍にする計画を立てました。そして、その水源の半分は、水田の宅地化によって余った二ヶ領用水の水をあてることにして、稲田取水場を設け、大量の水を二ヶ領用水から取り入れました。水田をうるおしてきた二ヶ領用水は、時代の変化とともに工業を支える大切な役割を果たすようになりました。 そして、工業用水としての役割は今も変わっていませんが、川崎を育んできた二ヶ領用水には、さらに街に水と緑をもたらす環境用水としての役割が期待されているのです。 なかはら二ヶ領用水と昭和の風景から |
【閉会】16:40
もり沢山のテーマを最後まで 聞いて頂き有難うございました。 私たちは、この二ヶ領用水を 川崎の宝として後世に伝えて いく運動をこれからも続けて行 きます。ご愛好下さるようお願 いします。 プロジェクト副実行委員長 吉田 威一郎 |