多摩川渡しの復活

      丸子の渡しとは・・・
 多摩川の流れが「北流路」になって(現在の流れ)、徳川家康入府の折も、市場村〜小向〜
江戸の道を辿ったされている、従って丸子の渡し成立は、慶長年間(1596〜1600)が妥当でしょう。       中原街道の要として重要な役目を果した渡しでした。

*1,江戸時代初期は参勤交代の道路として天下の公道とされ、江戸の玄関口として重要な役割、
  を果した

*2,明治大正期は東京への農産物、東京〜川崎えの肥料の搬出入の渡し場として人は2銭・車は
  5銭の有料渡しで重要な役割と、収入源となった。

*3,大正〜昭和期は中原街道沿い町村の発展に伴い、人・牛馬車・自動車の往来が盛んになっ
  てきた。渡し船も今のフェリー式の大型船となfり、人も車も一緒の載せる活況をあびてきまし
  たが、その混雑と不便は大変なもので、大風が吹いたり、大水が出れば欠航するのは昔も変
  わらなかった。

*4,,何とか渡しに変わる安全な橋を作ってほしいという請願運動が主に川崎側の人々から、明冶
  17年(1884年)から何度も繰り返しされその結果、東京府と神奈川県が工事費折半負担で丸
  子に橋を架ける事になり出願から、43年後の昭和10年(1935)5月に開通・・渡し船は長年の
  役割を終えた。

 この思いを次世代に伝えたいと、NPO法人多摩川エコミュージアムが川崎市と組んで、「丸子し
 の復活」を開始した、初回が中原街道時代まつりに合わせた2007年5月27日です

              渡し船に乗って中原街道時代まつりに行こう

第一部:丸子の渡し世田谷沼部→川崎丸子 5月晴れの多摩川を水しぶきと共に無事に渡りました。
              
下のスライドショーをクリックしてお楽しみ下さい



次回は中原街道と時代まつり