二ヶ用水・大師掘りを語ろう 最終回:シンポジウム 2006-12-9日(土)
甦れ!環境用水!
              二ヶ領用水完成400年の向けて 川崎教育会館にて

 天正18年(1590)江戸に入った徳川家康は。江戸周辺の治水・新田開発に力を注いだのです。
多摩川については小泉次大夫に世田谷側、川崎側の四ヶ領に灌漑用の用水路の整備を命じ
ました。川崎側は稲毛、川崎の二ヶ領にまたがるので二ヶ領用水と呼ばれ、この総延長は32km
に及び14年の歳月をかけて慶長16年(1611)に完成し米の収穫は飛躍的に増加してきました。
 その後用水増加の対応が田中休愚によって行はれ、新田用水、飲み水、工業水で川崎人の
生命の水として、大地を緑に変え、生活を潤し、新しい文化を作りだして来ました。
 戦後、急速な都市化で田畑が減少し、二ヶ領用水も鹿島田辺りから埋設や暗渠化され、併せて
水質の悪化で、一時はその存在さへ危ぶまれて来ましたが、川崎にとってかけがいのないこの
文化遺産である二ヶ領用水を、市民、企業、行政一体となって、これからの市民生活を潤す、新し
い水の流れに作り変えていきたい願が盛り上がってきています。環境用水として甦らせたい!

二ヶ領用水円筒分水
二ヶ領用水のとうろ 流し 溝の口

基調講演:水恩の人びと
熱ぽく語る 神奈川県観光協会会長 斉藤文夫さん
小泉次大夫・田中休愚の泉田二君をたたえて・・・妙遠寺に泉田二君の水恩の碑がある

市民の提案です・・頑張っています

  力が入った 大師掘りを語る 池上班
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大師掘りを語る会 須山班、実現の道筋を探る!

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パネラ−の提言

行政側の提案
水防センターの市民活動拠点と」しての役割は?
市民の憩いの水辺の空間、緑豊なまちが甦るのか?


日常生活の中でさまざまに利用されるてきた、二ヶ
領用水を再生することは、都市における「環境の質」
を向上させ都市の持つ「価値」を高める事ですと・
            質疑応答とまとめ・・・市民提案の実現に向けて・・・さぁ〜市民活動の核心です
熱ぽい市民質問のまとめは・・・ボランテァーで出来る物はすぐ出来るがお金と周辺の変革が伴うものは・・・
(1)熱意、粘り強く行動しなければならない(2)行政の窓口は・・鋭い質問で市民の熱意が伝わったようです
司会の二ヶ領用水ウォッチング・フォーラム代表
二ヶ領用水を熱ぽく語る 阪口さん
二ヶ領用水は1597年(慶長2年)から1611年(慶長16年)までの14年間を掛けた工事で、総延長32kmに及ぶものであった。それから400年、この偉大なる川崎の遺産は、いま道路と下水道になって車を走らせ汚水処理の役目を果たしている。しかし歴史と自然と人の暮らしが見えなくなってしまった。平成4年には二ヶ領用水基本計画が制定され今年で14年経つが、その水路復元はまったく進んでいない。400年前には14年間で無から作り出した水路が、現在は計画されて14年も経つと言うのに・・・・。あと5年で完成400年記念、せめてそれまでに道筋をはっきり示し、市民主導で水辺再生を次世代に引継がなければ幾多の水恩の人々に会わせる顔がなかろう。

二ヶ領用水32Kmが開削して400年を迎えるにあたり、川崎の人々の思いがにじみ出たシンポジウムでした
市民提案は何年掛かっても実現したい物です。久し振りに感動しました。リポート 眞田 強