旧平瀬川 中原堰の発掘調査


中原堰銘板

建設委員
市川代三郎・原定次郎・朝山嘉一郎・鹿嶋儀左ヱ門・村長:原半左ヱ門
大正4年5月と名刻してある
● 調査月日 :平成19年6月12日9:00〜16:00
● 場所    :川崎市高津区溝の口一丁目十六番地(総合高津中央病院南側
           「旧平瀬河川敷」
● 調査主幹 :旧平瀬川中原堰研究会 代表:平井 岩男
● 目的    :旧平瀬川中原堰跡の場所が高津区の計画では、溝の口の駐輪場増設
       の為旧平瀬川河川敷きを埋め立てて工事に掛かることになり中原堰
       の遺構調査を至急行う必要にせまられ発掘調査を行なった

中原堰とは

古くは荘園制度の中で平瀬川(ヤトガワ)が稲毛の地一帯の灌漑に用いられて、これまでは
「下ヤシキ堰」と呼ばれ4ヶ村(上小田中・新城・下小田中・神地)の水田を潤していました。
平成14年に旧平瀬川に存在する堰、所謂 中原堰の遺構と銘板(大正4年5月)がコンクリ
ート造りに改築されたのが発見されました。なお低水面の平瀬川の水を上小田中方面へ灌
漑するために、この堰において角材を落とし入れて堰上げをする必要があったのではないか
と考えられます

(1)場所下の図 右側建物は高津総合中央病院南側で両脇の赤矢印が中原堰改築の両壁
       真ん中の砂利道が旧平瀬川河川敷です。


(2)発掘調査状況の記録です
                                                 
旧平瀬川上面コンクリートの柵です、廃河川時のもの
旧平瀬川廃河川時の上面柵
30度近くの暑さも感じず、発掘に精を出す歴史家
何かありました・・・・
取水口左壁より600mmに境界栓発見!!  まだ新しい境界栓、取水口左壁より600mmの位置
貴重な、えにしえの記録
地層から取水路深さ:物指しが水路底らしい、約700mm


(3)後記
  ○旧河川敷地区内はコンクリート柵梁とボックスカルバトが堰内余裕なく設置されていたため
   詳細な確認ができなかった。
  ○歴史的に意義のある中原堰と銘板を後世に残るようにしたい。