“あばれ川”多摩川の歴史

多摩川には河口から、長い堤防が続いています。
私達がいつもサイクリングや散歩を楽しんでいるこの堤防が、洪水から暮らしを守るために、昔の人々が努力して造り上げたものだということをご存知ですか? かつて、大雨のたびに氾らんを繰り返した「あばれ川」多摩川、たび重なる堤防の決壊に、住民が立ち上がってついに完成させたのが、今のガス橋の近くになごりを残す有吉堤です。

今の多摩川は、「あばれ川」のおもかげも薄れ、めったなことでは大きな洪水は起こりません。それは昔の人々が今ここに暮らす私達に残してくれた遺産なのではないでしょうか。


明治40年の大水害で水びたしになった川崎町



明治43年の
大水害で破損した六郷大橋




道路となった有吉堤のなごり




昭和49年の狛江水害で濁流に飲み込まれる家



1550
(天文19)
大洪水、伊豆美神神社流失
1590
(天正18)
大洪水で多摩川の流路変わる
1600
(慶長5)
六郷大橋、架橋。以後洪水のため度々流失・再架橋
1627
(寛永4)
羽田、川崎水害
1644
(正保1)
大洪水で六郷水害
1650
(慶安3)
羽田・野毛周辺水害
1688
(貞享4)
大洪水で六郷大橋流失、架橋をやめて渡船に。
1694
(元禄7)
川崎水害
1699
(元禄12)
川崎水害
1723
(享保8)
六郷水害(以後、度々水害起こる)
1781
(安永10)
享保以来の大洪水
1790
(寛政2)
矢口・菅村堤防決壊
1803
(享和3)
川崎堤決壊
1816
(文化13)
川崎、八王子など水害
1868
(慶応4)
六郷用水取入口壊滅
1875
(明治8)
洪水で六郷橋、弁天橋流失、堤防決壊
1878
(明治11)
数ヶ村で堤防決壊
25ヶ村で水害、横浜〜東京間鉄道不通
1889
(明治22)
各地で堤防決壊
1894
(明治27)
各地で堤防決壊 日清戦争開始
1896
(明治29)
河川法公布
1898
(明治31)
布田で堤防決壊、二ヶ領用水締切元付近決壊。高津村、久地村で堤防決壊
二ヶ領用水宿河原取入口大破損
1904
(明治37)
日露戦争開始
1907
(明治40)
大洪水、各地で堤防決壊、横浜〜東京間鉄道不通  被災市町村数は50、川崎町は全町浸水
1910
(明治43)
下流部、未曾有の大水害。被災市町村数55
1911
(明治44)
洪水で六郷大橋流失
1914
(大正3)
早期築堤を求めたアミガサ事件
1916
(大正5)
代用堤防の有吉堤完成
1917
(大正6)
洪水。高潮と重なり被害甚大
1918
(大正7)
多摩川下流改修工事開始(1934年に完成)
1945
(昭和20)
太平洋戦争終結
1974
(昭和49)
狛江水害
1997
(平成9)
河川法改正

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